南アルプスの登山史

南アルプス登山史年表
時代 年号 出来事
平安時代     ◆鳳凰山に修験者が修験者が登山。「古今集」などに「甲斐ヶ根」が詠み込まれる。
鎌倉時代     ◆「平家物語」に「甲斐の白峰」が登場。
江戸時代 1795 寛政7 ◆北岳山頂に大日如来が奉納される。
  1814 文化11 ◆甲州の地誌「甲斐国志」編さんが終了。北岳、甲斐駒ヶ岳、鳳凰山などの山頂の詳しい記述。
1816 文化13 ◆諏訪の弘幡行者が甲斐駒ヶ岳を開山。
1824 文政7 ◆韮崎の神官生山生方が鳳凰登山記「大島ヶ獄に遊ぶ記」。
明治時代 1871 明治4 ◆芦安の名取直衛が市川郡役所の許可を得て、北岳に甲斐ヶ根神社を設け登山道を開く。許可を得たのは明治2年。しかし、登山者は少なくまもなく廃道。
1875 明治8 ◆マサモリ・ベンキチが北岳に登山道を開いたといわれる。
1878 明治11 ◆国による初めての森林調査がスタート。山梨が最初の調査地となり、「甲斐には4つの帯があり」とする報告をまとめる。垂直分布の考えを初めて導入した。
1881 明治14 ◆7月14日から8月21日、アーネストサトウが大掛かりな登山旅行。金峰山、三ツ頭、権現岳、白河内、農鳥岳、間ノ岳に登る。
    ◆高橋敬十郎ら長野、戸台から甲斐駒ヶ岳へ登頂。
1882 明治15 ◆横山又次郎、山下伝吉、中島謙造らがナウマンの指導を受け、地質調査のため長野・戸台から入って野呂川を下り奈良田へ。さらに転付峠を越えて大井川に下り、西俣を遡行、長野の大河原に抜ける。
1884 明治17 ◆横山又次郎、中島謙造らが御座石から鳳凰山に登り、野呂川に下ってさらに大井川から赤石岳へ。千頭へ抜ける。
    ◆甲斐駒ケ岳5合目に修験行者の植松嘉衛が小屋を開設。大正の初めに古屋亀太郎が譲り受け、その子義成(1999年没)が守った。
1986 明治19 ◆秋、伊奈街道が完成。中富町切石と長野・飯田を結ぶもので、全長80キロに及んだ。特に早川の新倉から転付峠ー大井川ー二軒小屋ー三伏峠ー長野・大河原間は数年間の難工事の末に開通した。山間部の道幅は60センチほどだったという。山梨側だけで1万人が工事にかかわった道も明治30年代には荒廃した。今は一部が登山道として残っている。
1887 明治20 ◆地蔵ヶ岳に「明治20年7月29日」の日付が入った石碑。
1889 明治22 ◆9月、北岳に石碑が建てられた。奉納者は「上宮地横内安太郎」。
1892 明治25 ◆8月1日から25日、ウエストンが南アルプスへ。赤石岳に外国人初登頂。
1895 明治28 ◆8月、木暮理太郎が甲斐駒、金峰山へ登頂。
1900 明治33 ◆8月、若尾逸平、加藤知事らが野呂川の水源探検。野呂川疎水工事のため水源を探査。
1902 明治35 ◆8月18日から27日、ウエストンが芦安ー杖立峠ー広河原ー大樺沢ー小太郎尾根のルートで北岳へ登頂。
1903 明治36 ◆7月24日、武田久吉らが、夏沢峠から赤岳。続けて台ヶ原から甲斐駒。八ヶ岳でヒナリンドウ、タカネシダを発見した。
    ◆8月、ウエストンが、芦安、奈良田、さらに台ヶ原から黒戸尾根を経て甲斐駒。鋸岳も目指したが途中引き返す。
1904 明治37 ◆7月12日から26日、ウエストンが芦安から鳳凰山―広河原―北岳―仙丈ケ岳―戸台の長期山行。15日には有名な地蔵仏初登はん。仙丈ケ岳も外国人初登頂。
    ◆8月、山梨師範の能勢教諭らが北岳登山の同行者を募集。
1905 明治38 ◆7月、小島烏水、山崎小三ら小渋川から明石岳。
    ◆8月13日から伊達九郎、高松誠ら芦安―夜叉神―鮎差―広河原―大樺沢―北岳―五葉尾根―芦安。
    ◆10月14日、小島烏水、高頭式、武田久吉、城数馬、河田黙らが日本山岳会設立。
1906 明治39 ◆8月、辻本満丸が鳳凰山。さらに小荒間から権現岳。続けて甲斐駒へ。この時、鳳凰山でホウオウシャジンを発見。
    ◆8月15日から19日、山梨師範教諭の石塚末吉ら芦安―杖立峠―五葉尾根―広河原―大樺池を経て北岳を目指したが悪天で断念した。同行者の望月無腸が山梨日日新聞に「白根探検記」と題して30日から9月4日まで連載。
    ◆8月から9月、荻野音松が長期山行。22日に川浦を出て京ノ沢から奥千丈、金峰山に登り、甲府に下って早川へ。下湯島から新沢峠を越えて大井川に下り、小西俣を経て三伏峠に登り大河原へ抜ける。この時、「悪沢岳」の存在が世に出る。
1907 明治40 ◆7月23日から武田久吉、河田黙ら高遠―戸台―赤河原―北沢峠―甲斐駒ケ岳―台ケ原。
    ◆8月7日から、石塚末吉らが大門沢から白根三山を初縦走、広河原から鳳凰山に登り返し芦安に下る。
1908 明治41 ◆7月19日から、小島烏水、高頭式ら西山―白剥山―大井川―東俣―農鳥岳―間ノ岳―北岳―鳳凰山―青木鉱泉の大縦走。
1909 明治42 ◆7月21日から20日間、小島烏水、高頭式ら西山―蜻蛉尾根―新沢峠―大井川―西俣―悪沢岳―赤石岳―小渋を歩き2年連続の南ア大縦走。
    ◆7月25日から、野尻正英(抱影=甲府中教諭)が芦安―夜叉神峠―杖立峠―五葉尾根―広河原を経て北岳に登る。
1910 明治43 ◆8月25日、北岳山頂に「山梨子県巡査・大谷与而吉、小笠原警察分署山梨子県警部・小林夏吉、林野局技手・小野信」と書き込んだシラベの皮があった。日付は同日。1カ月後に登った鵜殿正雄の記録に出てくる。
    ◆9月、鵜殿正雄が戸台―赤河原を経て仙丈ケ岳に登り、大仙丈沢を下って野呂川へ。さらに北岳山頂に立ち広河原―五葉尾根―杖立峠を経由して鳳凰山に登る。
    ◆秋、甲府中の大島隣三、内藤安城が鳳凰山地蔵仏に立つ。ウエストンに次ぐ第2登、日本人初登を達成した。
    ◆小島烏水が出版の「日本南アルプス」第1巻で、北岳の大岩壁に「バットレス」の呼称。
1911 明治44 ◆7月18日から、星忠芳と案内人の水石春吉が鋸岳第2高点に初めて立つ。辻本満丸とともに台ケ原から入山。日向山―鞍掛山―八丁尾根―烏帽子岳のルートで山頂を目指した。辻本は体調を崩して断念し、星と水石が登頂した。
    ◆8月、野尻正英と甲府中学の生徒2人が間ノ岳、北岳。
    ◆12月1日、中村清太郎が笊ケ岳。11月30日に硯島から入山し山頂に立った。南アルプスの積雪期初の記録。
    ◆小島烏水が甲斐駒―仙丈ケ岳―荒川岳。
1912 明治45 ◆7月、小島烏水、岡野金次郎、水石春吉が鋸岳第1高点に初登頂。台ケ原から甲斐駒を経て第1高点へ。この後、仙丈ケ岳―洞ノ岳―荒川岳―市之瀬。
大正時代 1913 大正2 ◆鵜殿正雄が鋸岳へ。
    ◆小島栄が鳳凰山、白峰へ。
    ◆夏、日川中の糸賀喜久太郎、佐々木、田中教諭、甲府商業の小沢教諭ら北岳。
    ◆11月23日、山梨山岳会発会式を甲府商業会議所で開く。佐々木吉、糸賀喜久太郎ら5人を幹事に選出した。会則など協議。
1914 大正3 ◆7月5日、山梨山岳会が甲府で山岳講演会を開き、小島烏水らが講演した。小島の演題は「日本アルプスの研究と甲州山岳」。
    ◆冠松次郎が広河原から白峰へ。
1916 大正5 ◆7月16日、海軍軍属落合道徳が南アルプス横断を目指して、単独で釜無川沿いに入山したが行方を絶つ。大正7年8月、仙丈ケ岳薮沢源頭で白骨で見つかった。
1917 大正6 ◆4月、舟田三郎が単独で夜叉神―荒川から北岳。ガイドレスのはしり。
    ◆7月末、県土木課の神崎政孝、正行兄弟が御座石鉱山跡を視察後、鳳凰山に登山。下山中にドンドコ沢の白糸―精進ケ滝間で兄政孝が転落死。
    ◆10月、カナダ人H・ドーントが地蔵仏へ外国人第2登。
    ◆甲斐駒ケ岳7合目に山小屋が開設される。
1918 大正7 ◆7、8月、武田久吉、木暮理太郎が大樺沢―北岳―間ノ岳―農鳥岳―広河内岳―大井川―蝙蝠岳―荒川岳―仙丈ケ岳―甲斐駒ケ岳―柳沢の大縦走。
    ◆夏、青木村が登山者増加に対応して鳳凰山の登山道を修繕。
    ◆日本の女性登山の草分け青木美代が野呂川から小太郎尾根。
1919 大正8 ◆平賀文男が鳳凰山ドンドコ沢の滝に「五色の滝」と命名。
    ◆青木美代、仙丈ケ岳から北岳。
1922 大正11 ◆7月14日、甲斐駒に東大4、早大4、明大1、高等商業1、諏訪の青年24人が大挙登山。
    ◆7月20日、山梨師範山岳部30人が甲斐駒目指して入山。
    ◆7月20日から26日、朝香宮が南アルプス登山。19日入峡。総勢50人が足馴峠から西山に入り、大門沢旧道―農鳥岳―間ノ岳―北岳―仙丈ケ岳―甲斐駒ケ岳を縦走した。
1923 大正12 ◆7月、県土木課員らが砂防調査のため大武川二の沢―離山のルートで鳳凰山へ。
    ◆11月23日から25日、城南山岳会員で海軍省勤務の大塚弘一、田中信夫が風雪のため鳳凰山で遭難、大塚が凍死。南アルプス積雪期初の犠牲者。
1924 大正13 ◆5月、甲府の大沢伊三郎ら赤石岳へ。記録映画を製作する。
    ◆6月11日、県内の山岳会を統合して甲斐山岳会を結成。初の全県組織。会長若尾金造、副会長石塚末吉。
    ◆6月27日、白鳳会設立。韮崎小で結成総会を開き幹事長に小屋忠子、常任幹事に大柴陳策ら。登山の宣伝印刷物配布、駅前に登山案内所設置、登山用天幕購入などの活動方針を決める。「白鳳」は白根山と鳳凰山。
    ◆7月12、13日、白鳳会が創立第1回山行。17人が鳳凰山登山。北御室に野宿。
    ◆7月、渡辺俊則、吉川秀雄が赤石岳―荒川岳―塩見岳―大井川東俣―白根三山―長野・市之瀬。この登山記録に「北岳で山梨師範の一行と会った」の記述。2人はガイドレス。
    ◆7月21日、大月桂月が農鳥岳登山。この時「酒のみて高根の上に吐く息は散りて下界の霧となるらん」の歌を詠んだ。東農鳥に歌碑がある。
    ◆8月1、2日、清光寺住職高橋竹迷、韮崎中校長堀内文吉ら鳳凰山。ドンドコ沢から登り、三山を縦走、中道を下る。
    ◆10月、京都三高の今西錦司、西堀栄三郎、四手井綱彦ら甲斐駒ケ岳。この時、北沢に山小屋があることを知り、冬の白根の計画を立てた。
    ◆11月中旬、鳳凰山の北御室小屋が完成。この年までに県山林課が建てた山小屋は北沢、両俣、間ノ岳、広河内沢、広河原、早川尾根、八ケ岳、破風、北御室の9つ。
1925 大正14 ◆3月、三高の西堀栄三郎、桑原武夫ら仙丈ケ岳(19日)、間ノ岳、北岳(22日)の積雪期初登頂。
    ◆3月28日、平賀文男が大樺沢から北岳登頂。三高に対抗して初登頂を競ったが6日遅れた。水石春吉が同行。帰りを甲斐駒に取り、積雪期甲斐駒初登。
    ◆7月2日から5日、白鳳会が韮崎から北岳への最短ルートとして高嶺の西から広河原に至るコースを開設。鞍部を白鳳峠と命名する。スポンサーの「サロメチール」の名入りのブリキ製案内板400枚を峠周辺や南ア北部に設置。
1926 大正15 ◆1月、野村実ら戸台―赤河原―仙丈ケ岳―仙水峠―甲斐駒ケ岳。
    ◆4月、一高パーティーが塩見岳―仙丈ケ岳―白根三山。
    ◆6月3日、甲府49連隊の町田等少尉が3回目の鳳凰山登山。町田は県内山岳を満州に想定した雪中訓練を試みていたといわれる。
    ◆6月6日、甲府中学生20人、13日は同中学生50人、山梨高等工業生6人、甲府高女生10余人が甘利山へ。
    ◆7月、東海銀行員牛奥富昌、間ノ岳で遭難、死亡。10日に入山、遭難は16日か。
    ◆7月12日、北大教授アーノルド・グルリー(スイス人)が韮崎から南アルプス縦走に出発。白鳳会に通訳の依頼があり、土橋重左衛門が同行。
    ◆7月下旬、甲斐山岳会が募集したアルプス登山斑に全国から多数の申し込み。鋸岳―甲斐駒、甲斐駒、鳳凰、八ケ岳などのコースで、22日に鋸岳―甲斐駒斑が野々垣リーダーで出発。
    ◆7月30日、山梨県技手、佐藤光造、渡辺正敏が白根山登山小屋修理に登山。
    ◆8月、横内斉が地蔵ケ岳でミヤマハナワラビを発見。
    ◆8月、黒田正夫・初子が白根三山。
    ◆8月、加藤文太郎が戸台―仙丈ケ岳―甲斐駒ケ岳―台ケ原―八ケ岳―浅間山。
    ◆12月、国分貫一が白根三山。黒田初子が鳳凰山―仙丈ケ岳―北岳―塩見岳。
    ◆黒田初子が鳳凰山―仙丈ケ岳―北岳―塩見岳。
昭和時代 1927 昭和2 ◆5月21日、山梨高等工業生350人が甘利山へ。
    ◆7月18日、京大の高橋健治ら4人が第五尾根から北岳。バットレス初登はん。翌19日には酒戸弥二郎ら3人が東北尾根を登った。
    ◆7月、加藤文太郎が赤石岳―聖岳―荒川岳―塩見岳―白根三山の単独行(8日間)。
    ◆9月、史蹟名勝天然記念物調査会が白鳳渓谷を調査、鷲の巣山の岩峰、荒川の煙滝などを確認。登山道や山小屋整備を提唱。
1929 昭和4 ◆6月16日、山梨日日新聞社主催の甘利山登山団に900人が参加。臨時列車を仕立てた。
    ◆6月、県が南アルプス、八ケ岳、富士山などに高山植物看守人を配置。
    ◆8月25日、山梨師範学校の功刀文男、功刀昇が地蔵仏登はん。
    ◆9月19日、北岳で東京第一銀行の中沢達夫が下山中、風雨のため小太郎尾根で道を失い凍死。9月には甲斐駒で下山中の慈恵医大山岳部パーティー岡一男が戸台本谷に転落死。台ケ原から入山した東京の渡辺芳太郎が行方不明に。
    ◆12月30日から1月4日、三井松男、町田等ら観音岳。
    ◆この年の県内の山小屋宿泊者数は次の通り。五葉尾根32人、広河原272人、北御室314人(うち女3)、早川尾根141人、北沢396人、両俣174人、白根御池285人、北岳72人、間ノ岳216人、大門沢259人、赤岳356人、国師92人(うち女2)、破風93人(うち女3)、合計2702人
1930 昭和5 ◆1月、北岳で慶応大パーティーが雪崩に巻き込まれ、野村実が搬送中に死亡。救援本部が韮崎に置かれ白鳳会がバックアップした。三井松男は観音岳下山後、救援活動に駆けつけた。昭和9年7月には白鳳会が野村の追悼碑を建立した。
    ◆1月19日、甲斐山岳会がガイドの講習会開催などを決める。また論議のある鳳凰山の呼称について近く見解を示す方針を確認。講習会は3日間にわたり案内人の心得、森林愛護、気象、地形図、衛生と外傷手当て、高山植物などを若尾金造、町田等、石塚末吉、大沢照貞、平賀文男、野々垣邦富らが講義した。
    ◆4月27日から30日、横浜山岳会の石田兵一、中本銀弘が台ケ原―甲斐駒―伊那。
    ◆5月4日から11日、平賀文男が荒川―間ノ岳―農鳥岳―大井川源流を縦走。
    ◆5月22日から26日、甲斐山岳会の武井四郎が尾勝谷―仙丈ケ岳―北岳―間ノ岳―農鳥岳―西山。
    ◆5月24日から27日、早川安治、鈴木喜太郎が鳳凰山。南嶺会に残る最も古い山行記録。
    ◆6月11日、甲府に南嶺会発足。甲府商業OBを中心に組織したもので、名前は大月桂月の「南高嶺」(南アルプス)に由来している。三井松男、今井友之助、百瀬舜太郎、鈴木喜太郎、大沢伊三郎らアカデミックな近代登山を目指した。
    ◆6月15日、第1回甘利山駅伝競走が行われ山梨師範が優勝。
    ◆6月、駒城の山岳開発協会が北沢小屋にラジオを設置、天気予報を速報。
    ◆6月中旬、県が山小屋修理に4班を派遣。南アルプス北部、八ケ岳、奥秩父。
    ◆7月1日、甲府測候所が南アルプスの天気予報を開始。
    ◆7月4日、白鳳会が韮崎駅前に南アルプス登山相談所を開設。
    ◆7月7日から9日、南嶺会の今沢茂、佐野一男が芦安―鮎差―荒川本谷―農鳥小屋―三国沢出合―大井川東俣―広河内岳―大門沢。
    ◆9月13日から21日、大沢伊三郎(南嶺会)ら池山吊尾根から白根三山に登り転付峠へ。
    ◆9月、関東山岳会の岩瀬勝男ら黄蓮谷右俣を初登。甲斐駒ケ岳のバリエーションの始まりを告げる。
    ◆11月、長野・戸台の竹沢長衛が北沢右岸に山小屋開設。
    ◆日本山岳会が冬の山小屋調査。山梨関係は甲斐駒第二屏風小屋(駒城村、中山玉樹、無料、燃料豊富)大樺池ノ小屋(芦安、甲斐山岳会支部、無料、燃料あり。問い合わせ先として甲斐山岳会と白鳳会)北沢小屋(美和村、竹沢長衛、無料)両俣小屋(同)富士山五合目石室桂屋(吉田、池谷佐重郎、宿泊2円)を紹介。北アルプスの常念は1泊60銭、槍平は同50銭。
1931 昭和6 ◆6月5日から9日、南嶺会の百瀬舜太郎、今沢茂、鈴木喜太郎が大武川―仙丈ケ岳―戸台。
    ◆6月、丸茂平造、森健二が柳沢―甲斐駒―仙丈―馬鹿尾根―両俣―野呂川左俣―北岳―広河原―広河原峠―高嶺―地蔵ケ岳―韮崎。
    ◆7月17日、千葉高等園芸研究科生の清水基夫が北岳山頂の南で新種の高山植物を採取。後にキタダケソウと名付けられる。
    ◆7月22日、駒城村のガイド牛田佐市(水石春吉の実兄)が長野・小渋川で徒渉中に流され死亡。明大山岳部を案内、下山中だった。52歳。野村実の遭難報告書の中に佐市小屋が出てくる。
    ◆7月28日から8月1日、鈴木喜太郎と甲府商業生徒5人が白根三山。
    ◆8月20日、甲斐駒ケ岳で京大生石倉初雄(石和町出身)の遺体発見。単独で入山、7月11日に行方不明になっていた。
    ◆9月5日から7日、小林高行、延行兄弟が甲斐駒ケ岳―鋸岳。
    ◆県山林会が「南アルプスと奥秩父」、菅原村登山案内強力組合が「日本南アルプス登山案内」(25ページ、地図付き)を発行。
1932 昭和7 ◆2月14日から18日、南嶺会の早川安治、長田賢、鈴木喜太郎が鳳凰山。
    ◆3月、黒田正夫・初子、仙丈ケ岳スキー登山。
    ◆4月27日から5月1日、横浜山岳会の石田兵一、中本銀弘が黒戸尾根から甲斐駒―戸台。
    ◆5月5日から13日、早大の小林高行(甲府出身、南嶺会)ら5人が五葉尾根から北岳。
    ◆5月20日、白鳳会総会で遭難対策として伝書鳩班設置を決める。
    ◆7月16日から、新倉(早川)の中根経三、新倉―二軒小屋―千枚岳―荒川岳―赤石岳―椹島。
    ◆7月20日から26日、南嶺会の百瀬舜太郎、今沢茂が転付峠―悪沢岳―赤石岳―聖岳―聖沢。
    ◆7月22日から26日、南嶺会の早川安治と甲府商業生5人が鳳凰山―白根三山―仙丈ケ岳―甲斐駒ケ岳。
    ◆7月22日から26日、甲府商業教諭の鈴木要・みつ夫妻、松本博吉が新倉から悪沢岳―赤石岳縦走。
    ◆7月31日、白鳳会の加賀爪鳳南が地蔵仏登はん。
    ◆11月3日から7日、南嶺会の早川、長田、土屋が五葉尾根―北岳―両俣―北沢―大武川。
    ◆甲府駅から芦安・大曽利まで自動車が入れるようになる。
1933 昭和8 ◆5月5日から8日、南嶺会の百瀬舜太郎、早川安治、今沢茂が南御室―地蔵ケ岳―石空川右俣―荒鞍山―大武川。
    ◆6月14日、英国大使館員のマクレーとネスタ夫人が地蔵仏。ネスタ夫人の登はんは女性初。
    ◆7月11日、釜無保勝会設立。鋸岳、甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳への近道として釜無登山道が開かれたのを機会に整備、案内人養成のため富士見、落合、大武川の有志で結成した。
    ◆7月22日から26日、南嶺会の早川安治と甲府商業生5人が鳳凰山―北岳―間ノ岳―両俣―北沢―大武川。
    ◆7月31日から8月4日、大沢伊三郎が野呂川―小仙丈沢―大仙丈沢―大武川。
    ◆8月7日から11日、今沢茂、佐野一男が荒川本谷―大井川―東俣―奈良田―増穂。
    ◆8月27日、南アルプス連合山岳会設立。登山者の急増、施設不備に対応するため、地元の山岳関係24団体が集まった。登山道改修、紹介、宣伝の統一、案内人養成の講座開設、土産品開発などを目的に掲げる。
    ◆この年の中部山岳登山者数は富士山10万1814人、御岳3万3944人、上高地6259人、白馬岳5830人、木曽駒ケ岳4882人、八ケ岳2987人、甲斐駒ケ岳2532人、槍ケ岳1362人(中部旅行協会調べ)。
    ◆山小屋料金は北沢長衛小屋が1泊3食で1円80銭。富士山は5合目で1泊3食で1円50銭、案内人は頂上まで1泊2日で4円。
    ◆アスナロ沢論争起こる。この年創刊の『ケルン』1号で、山本明がアスナロ沢遡行記を載せた。これに対し平賀文男が2号で、山本が遡行したのは農鳥沢であると反論した。今も混乱が続いている。
1934 昭和9 ◆4月5日から8日、南嶺会の早川安治、長田賢、鈴木喜太郎が北沢を遡行して北岳。
    ◆5月7日から9日、今沢茂、小田和友蔵が農鳥沢から農鳥岳。
    ◆5月15日、日本空輸が東京―富山間の空路営業を開始。「秩父、八ケ岳、南アルプスの展望」を宣伝した。1人16円。
    ◆7月7日、鈴木喜太郎、山田よし子(26)、三井松子(20)、中谷糸子(22)が地蔵仏。山田ら3人は日本女性の地蔵仏初登頂。
    ◆11月上旬、鈴木喜太郎がガイドレスで北岳。翌年、「ガイドレス登山記吹雪に立つ北岳へ」を『山小屋』109号に発表。
    ◆清哲村から地蔵ケ岳の登山道12キロを地元の労働奉仕で整備。1メートル幅の登山道に。また北御室小屋に小屋番を常駐させることになり、水石春吉の弟小沢時太郎が入った。白鳳会が韮崎駅前に登山の案内所を開くため案内嬢の採用試験を行った。
1935 昭和10 ◆4月22日から27日、早川、清水、鈴木(南嶺会)がアスナロ沢から農鳥岳。
    ◆6月10日から13日、南嶺会が農鳥岳東壁に挑戦。荒川本谷入り鈴木、早川、長田が試登したが途中で断念。別パーティーの三井、百瀬、清水は本谷から頂上へ。
    ◆7月6日から12日、鈴木、山田よし子、三井松子(南嶺会)、県山林課員が白根三山縦走。
    ◆7月13日、甲斐駒七丈小屋で東京方面からきた登山者3人が利用代金を踏み倒す。上旬には青木鉱泉でも同様の被害があり、白鳳会が韮崎署に取り締まりを要請。
    ◆7月21日から28日、南嶺会の鈴木、早川、甲府商業生渡辺謙太郎、早川倉三が白根から聖岳を縦走、聖沢に出る。
    ◆7月25日から31日、身延中山岳部が二軒小屋―塩見岳―荒川岳―悪沢岳―二軒小屋。常磐、茂手木両教諭がリーダー。3年の神戸肇は13歳9カ月で南ア踏破の最年少記録。
    ◆8月8日、鳳凰山で東京の鉄道職員飯田操六(27)が行方不明に。
    ◆8月25日、東京一高の杉浦四郎(20)、水上武治(22)が北岳を目指して入山したが消息が途絶えた。28日に甲斐駒経由で下山予定だった。
    ◆9月23日、長野・遠山川から入山、南アを縦走し西山に31日下山予定の青木義行(22)、小島政五郎(23)が行方不明に。
1936 昭和11 ◆6月8日から11日、百瀬、鈴木、早川、長田(南嶺会)が黄蓮谷遡行。
    ◆7月、南嶺会の鈴木喜太郎と甲府商業生5人が白根三山から赤石岳を縦走。
    ◆7月21日から、甲府中山岳部の井上清部長と生徒17人が辻山―薬師岳―地蔵ケ岳―韮崎。
    ◆7月22日から、日川中山岳部の水口清雄部長と生徒9人が南アルプス登山。
    ◆7月25日から、甲府中山岳部の井上部長と生徒3人が白根三山―赤石岳を縦走。
    ◆7月26日、石塚末吉が北岳でクモイカグマ発見。
    ◆8月1日から、甲府の小菅恒造、伝八が荒川本谷―農鳥岳―大井川―塩見岳―三伏峠―赤石岳―聖岳―椹島―二軒小屋―新倉―甲府の大縦走。2人の経歴は不明。
    ◆11月4日、甲府出身の登山家細井吉造が中央アルプス南駒ケ岳で遭難死。遺稿集『木曽谷伊那谷』が有名。甲斐駒ケ岳、甲府北部の山々を特に愛し「甲斐駒之助」のペンネームも使った。長野・飯島町の与田切川左岸に遭難碑がある。
    ◆11月19日から、山下正崇(南嶺会)が甘利山―千頭星山―辻山―南御室―芦安。
    ◆12月、小田和友蔵、今沢茂が冬期の農鳥沢初遡行。
    ◆12月27日、東京商科大の小谷部全助、森川真三郎が冬期バットレスの第1、第4尾根初登はん。
1937 昭和12 ◆6月12、13日、甲府中山岳部の井上部長が甘利山―千頭星山―辻山往復。
    ◆6月30日から7月上旬、県山林課が山小屋修理のため4班を派遣。鳳凰山―高嶺―アサヨ峰―仙水峠―甲斐駒ケ岳―駒城村(課員高橋正夫、渡辺晴二)白根三山―仙丈ケ岳―甲斐駒ケ岳―駒城村(課員小俣)五葉尾根―北岳―両俣―仙水峠―甲斐駒ケ岳―駒城村(西内幸太郎、小山)。
    ◆7月21日から23日、甲府中山岳部の井上部長、生徒の相沢幹雄、保坂、岩沢、内藤、大竹、田中、伊藤、笹川の9人がペデの岩小屋―北沢遡行―北岳―鳳凰山。
    ◆7月22日から、甲府商山岳部が白根三山縦走。
    ◆7月25日から、甲府工業山岳部の広瀬欣郎、苗村敬、大島全弘が白根三山縦走。7月25日から、南嶺会の早川安治、甲府商山岳部が白根三山―赤石岳縦走。
    ◆7月26日から、甲府湯田女学校の小林健蔵と生徒40人が鳳凰山。
    ◆8月8日から、大泉村水産講習所の藤井銀造が荒川小屋―北岳―間ノ岳―農鳥岳―西山。
1938 昭和13 ◆7月10日から、山梨高等工業山岳部の大沢政市、竹村東虎、肩上和夫、坂上慶麿が白根三山。
    ◆7月17日から、山梨高等工業の島津俊治、清水良平、下田好穂、溝口登、森久雄が白根三山。
    ◆7月21日から、日川中が白根三山、八ケ岳、富士山、大武川など5パーティーを派遣。
    ◆7月29日から、韮崎中2年の小池公広、功刀長朝、伊東省吾、大村梅夫が鳳凰山―高嶺。
    ◆7月31日から8月3日、アサヨ峰で東京市立商業の4人が遭難、死亡。1日にアサヨで道に迷い、3日に竹沢長衛が現場に。
1939 昭和14 ◆7月16日、北岳で合宿中の神戸高商山岳部員4人が雷の直撃を受けて朝田武彦、中村考一が死亡した。南アで初めての被雷遭難。
    ◆8月6日、岐阜農高山岳部が北岳で遭難死した仲間の慰霊登山。「昭和十二年八月九日バットレスに眠る大橋君の立墓のために来る」の記録あり。
    ◆8月11日から、日川中の水口清雄教諭、生徒の大沢袈裟芳、萩原義路、小林道夫、川久保正郎が荒川小屋―(白根三山)―広河原小屋―(鳳凰山)―青木鉱泉。
1940 昭和15 ◆6月、荒川本谷を遡行した横浜の村松康夫が行方不明に。10年後の昭和25年、農鳥岳東壁中央稜を登はん中の山梨大生高室陽二郎らが遺体を発見した。
1941 昭和16 ◆5月、南嶺会の遠藤武夫、石川、水口弥が池山吊尾根から北岳。
    ◆7月、県登山連盟主催の錬成登山が甲斐駒ケ岳、鳳凰山、金峰山で行われる。
    ◆10月、南嶺会の井上、遠藤、石川、水口、内藤が地蔵仏登はん。
1942 昭和17 ◆7月29日、登歩渓流会の松涛明が北岳バットレス中央稜初登はん。
    ◆11月1日から3日、南嶺会の水口弥ら鳳凰山。
    ◆南嶺会の百瀬、今沢、井上が甲斐駒ケ岳へ。白州往復は自転車を使っての日帰り登山。
1943 昭和18 ◆7月、松本の歯科医師父娘が甲斐駒の坊主尾根で迷い、父親は疲労死、娘は尾白本谷を下降し助かる。
    ◆秋、東京の中学生添田春吉らが甲斐駒山頂で吹雪に遭いほこらに避難したが、添田が死亡。
1946 昭和21 ◆9月、千葉の菅井二郎が甲斐駒で凍死。昭和6年の石倉初雄と奇しくも同じ六方石付近だった。
1947 昭和22 ◆4月20日、南嶺会が再建懇親会を夜叉神峠で開催。三井、遠藤、水口ら16人が参加。6月から10月にかけて鳳凰山(自転車往復)、白根三山、転付峠―赤石岳―小渋など8回の山行を集中させた。
    ◆菅原山岳会発足。地元の古屋五郎らを中心に登山環境整備に力を注いだ。
1948 昭和23 ◆7月、山梨工専山岳部が甲斐駒ケ岳から聖岳まで縦走。
    ◆12月11日、県山岳連盟・日本山岳会山梨支部設立総会を甲府商工会議所で開く。会長大沢伊三郎、副会長三井松男、古屋五郎、理事長今井友之助。槙有恒、西堀栄三郎らを招いた。
1949 昭和24 ◆7月23日から8月5日、日川高山岳部が南アルプス全山縦走に成功。飯島利彦部長(25)、リーダー藤巻隆基(3年)、三枝恒夫、窪田知雄、平松直樹(2年)、山本富平(1年)の6人。戸台から入り鋸岳―甲斐駒―仙丈―両俣―北岳―間ノ岳―塩見岳―荒川岳―赤石岳―聖岳―易老岳。2日、飯島部長が聖岳南斜面で滑落、負傷した。飯島の指示で藤巻、山本が前進し、光岳は断念したが、易老岳に達し、遠山に下山して救援を求めた。
    ◆10月10日、甘利山の椹池畔に白鳳会が建築していた「白鳳荘」が完成。
    ◆山梨大山岳会が発足(6月)。厳冬期に南ア全山縦走、中ア全山縦走、北鎌尾根―穂高縦走、北岳バットレス、甲斐駒の岩と谷、塩見岳のバットレス、聖学の谷と岩など、戦後の県山岳界をリードした。
1950 昭和25 ◆9月下旬、山梨大山岳部の高室陽二郎らが農鳥岳胸壁を登はん。途中で古い遺体を発見し、翌年8月に収容。
1951 昭和26 ◆1月、山梨大山岳部が極地法で荒川本谷―農鳥胸壁―白根三山。
    ◆8月、角笛山岳会の小野芳雄が赤薙沢で死亡。
1952 昭和27 ◆6月、北岳池山尾根で東京の斎藤正之がタル沢の雪渓に転落、死亡。
    ◆7月、北岳で吉原高定時制山岳部の鶴見厚弘(17)、大村宗作(23)、神尾幸男(22)が遭難、死亡(鶴城山岳会に出動記録の詳報)。合宿中の甲府一高山岳部が救援作業。同じころ仙丈ケ岳でも千葉の佐野良松、石川利男、兵庫の吉崎広一が疲労凍死。
1953 昭和28 ◆8月、北岳バットレスで神戸大山岳部の中川健司がザイルが切れて転落死。
    ◆8月、広河原の徒渉で学生が流され死亡。菅原山岳会がつり橋を設ける。
    ◆北岳の北沢上部に県が北岳小屋を開設。昭和40年に稜線に移って北岳稜線小屋を開設した。昭和53年7月1日に稜線小屋の跡に県営北岳山荘がオープン。
1954 昭和29 ◆11月4日、夜叉神トンネル貫通。
1955 昭和30 ◆5月、甲府岳人会の中村哲次郎が間ノ岳で吹雪に遭い死亡。
    ◆12月24日、厳冬期南アルプス全山縦走を目指す山梨大隊が白州を出発。元旦に間ノ岳を通過、光岳山頂を踏んで18日、寸又峡に下山した。
1956 昭和31 ◆冬、雪稜クラブが極地法で大唐松尾根から農鳥岳に登る。
1957 昭和32 ◆10月26日から30日、第12回国体の山岳部門が南アルプスで開かれる。
1959 昭和34 ◆6月3日、北岳バットレスで成城大山岳部の二見泰司が4尾根登はん中、ハーケンが抜けて転落死。
    ◆6月12日から14日、鳳凰山で関東高校登山大会。
    ◆6月14日、芦安の案内人名取久平が大崖頭山で転落、搬送中に死亡。72歳だった。
    ◆7月25日から27日、からまつ山岳会が農鳥岳集中。アスナロ沢、中央稜、尾無尾根、細沢、無名沢、大唐松尾根、南沢、アレ沢、荒川本谷左俣など登る。からまつは後に北岳でも大規模な集中登山を実施。
    ◆7月28日から、甲府商高山岳部の22人(教師5人、生徒17人)が戸台―仙丈ケ岳―易老岳を縦走、平岡へ下る。
    ◆7月29日から8月9日、鶴城山岳会が北岳合宿でバットレス集中登はん。Cガリー、中央稜右の無名ルンゼ初登。
    ◆8月14日、台風7号が富士川沿いに北上、甲府で最大瞬間風速43.2メートルを記録。死者66人、不明24人。
    ◆9月26、27日、台風15号(伊勢湾台風)。奈良田で24時間雨量335ミリを記録。死者15人。この2つの台風で山岳地帯は大きく変ぼうした。
1960 昭和35 ◆4月下旬、野呂川の深沢下降点コースが完成。
1962 昭和37 ◆1月3日、甲斐駒ケ岳の赤石沢奥壁をアタックしていた東京白稜会の森義正、坪井森次、須藤一雄の3人が遭難死。この正月は1日から4日の間に全国で23件の遭難が発生、23人が死亡し1人が行方不明、32人が重軽傷を負った。
    ◆10月、芦安から広河原を結ぶ野呂川林道が完成。広河原まで車で入れるようになり、北岳が日帰りの山に。一方、五葉尾根、荒川本谷などのルートは廃道となっていく。
    ◆10月11日、北岳で嶺朋クラブの前田謙一、井上昇が遭難、死亡。
    ◆11月4日、間ノ岳から農鳥岳に向かう下りで成城大ワンダーフォーゲル部OBとその知人ら4人が疲労凍死。
1963 昭和38 ◆1月、からまつ山岳会が厳冬期の北岳バットレスに集中。1尾根から4尾根、中央稜など登はん。
1964 昭和39 ◆6月1日、南アルプス国立公園、八ケ岳中信国定公園指定。
    ◆7月20日、深田久弥の『日本百名山』(新潮社)発刊される。山梨からは八ケ岳、雲取山、甲武信ケ岳、金峰山、瑞牆山、大菩薩嶺、富士山、甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳、鳳凰山、北岳、間ノ岳。
    ◆12月30日、甲斐駒ケ岳でブロック雪崩が発生、3人が800メートル流されて死亡。気象状況は日本海低気圧。
    ◆巨摩高が櫛形山の自然観察、研究調査に着手。後に長年の成果を「櫛形山の自然」、「続櫛形山の自然」などにまとめて発表して反響を呼んだ。
1966 昭和41 ◆4月、南アルプス巨摩県立自然公園指定。
    ◆7月21日から23日、甲斐駒ケ岳で甲府一高生が死亡。
1968 昭和43 ◆7月15日から27日、鶴城山岳会が南アルプス全山縦走。
1970 昭和45 ◆6月6日~8日、鳳凰山で関東高校登山大会。
    ◆6月19日から28日、ソウル大OB山岳部が来県。富士山や北岳に交流登山を行う。
    ◆この年から白鳳会が鳳凰山周辺の沢に集中。大深沢、赤沢、立石沢、嘉助沢、シレイ沢、赤抜沢、石空川、アサヨ沢、荒沢などを登り会報で詳細を報告。
    ◆県がライチョウの生息調査に着手。昭和47年まで行い、期間中の出現個体数として白根三山29羽、鳳凰山3羽、甲斐駒ケ岳4羽、仙丈ケ岳7羽を報告した。調査結果は「山梨のライチョウ」としてまとめたが、絶滅の危機にあることを明らかにした。
    ◆甘利山で大規模な山火事が発生、レンゲツツジやスズランが大被害を受けた。地元の植栽でツツジは復活したがスズランは減ったまま。
1972 昭和47 ◆10月、嶺朋クラブが北岳に嶺朋ルートを開く。
1973 昭和48 ◆1月、甲府昭和山岳会が南アルプス全山縦走。
1974 昭和49 ◆7月27、28日、県山岳連盟が山岳清掃を北岳、権現岳、編笠山で実施。
1975 昭和50 ◆8月4日から8日、インターハイ山岳部門が南アルプスで開かれる。
    ◆9月14、15日、白鳳会が大武川一の沢。これを皮切りに昭和54年まで鳳凰山東面の沢に集中。大武川二の沢・水の口沢・本谷、大棚沢、黄蓮谷、黄谷右俣、熊小屋尾根、シレイ沢などを登る。
1976 昭和51 ◆7月1日、山梨県キャンプ地利用適正化指導要綱を施行。キャンプ地が県内山岳全域で指定された。
1978 昭和53 ◆1月、南嶺会が甲斐駒ケ岳の赤石沢奥壁を登はん。
1979 昭和54 ◆7月、北岳に昭和大の小林太刀夫らが中心となって診療所開設。
    ◆11月、南アルプス林道が全線開通。芦安―長野・長谷村の34キロを結ぶ。北沢峠周辺の国立公園特別地域内工事をめぐって反対運動が広がり一時工事が凍結されていた。
    ◆12月16日、甲斐駒ケ岳黄蓮谷でアッセントクラブの中根起一(23)、池田照夫(24)が滑落、死亡。
1981 昭和56 ◆12月20日、甲斐駒ケ岳の黄蓮谷で表層雪崩が発生し、埼玉「あゆむ山の会」の勝見誠(22)、田中政司(32)、武田薫和(26)の3人が死亡。気象条件は二つ玉低気圧。
1982 昭和57 ◆3月22日、甲斐駒ケ岳で表層雪崩に2人が巻き込まれ1人が死亡、1人がけが。南岸低気圧。
    ◆8月1日から3日、台風10号と停滞前線による大雨。北沢峠で768ミリの豪雨を記録した。南アルプス林道は164カ所で寸断され、野呂川と大小の沢は土石の崩落で姿が一変した。両俣小屋は濁流にのみ込まれ41人が小屋裏に避難、仙丈ケ岳を経て全員無事脱出した。
    ◆この年、高山植物保護を目的とした山梨県山岳レインジャーの業務を山梨県が山梨県山岳連盟に委託。
1984 昭和59 ◆11月18日、甲斐駒ケ岳の五合目小屋が開設100年の式典。
1985 昭和60 ◆10月9日、山梨県高山植物保護条例制定。
1986 昭和61 ◆4月1日、山梨県高山植物保護条例施行。
    ◆10月、かいじ国体開く。山岳競技で天皇杯、皇后杯を獲得。山岳競技は12日から17日まで鳳凰山系を舞台に行われ、監督・選手368人が参加した。県山岳連盟は約200人が連日運営にかかわった。
1987 昭和62 ◆8月27日、深沢今朝光(元稜線小屋)が北岳でヒメヤナギランを発見。
1988 昭和63 ◆12月29日から1月3日、県山岳連盟が創立40周年を記念して厳冬期県境一周縦走を達成。全体を15区間に分けて加盟山岳会が一斉に入山した。縦走参加者は約110人。支援隊や留守本部を合わせると200人以上が参加する大事業となった。
平成時代 1991 平成3 ◆7月5日から7日、全日本登山大会が南ア北部で開かれる。
1994 平成6 ◆1月、種の保存法による希少種にキタダケソウが指定される。採取、譲渡が全面禁止となった。
    ◆8月7日、北岳でクリーン作戦実施。110人が参加。
1995 平成7 ◆8月5、6日、12日から15日、広河原に安全登山指導所を開設。登山者指導を行う。
1996 平成8 ◆8月4日、県山岳連盟が南ア北部でクリーン作戦。
    ◆8月20日から24日、インターハイ山岳部門を南ア北部で開催。韮崎高がアベック優勝、都留高男子が2位に入った。県山岳連盟の多数が運営に携わった。
    ◆夏、南アルプス倶楽部が北岳の大樺沢で汚染状況調査を行い大腸菌を検出。
1997 平成9 ◆2月、山梨県が山梨百名山を選定。
    ◆4月29日、芦安にクライミングボードが完成、第1回芦安カップ大会を行う。
    ◆8月8日、山梨県が8月8日を「やまなし山の日」と決める。
    ◆8月26日、環境庁がアツモリソウ、ホテイアツモリソウを希少種に指定。
    ◆8月27日、日本山岳会山梨支部が平成7年から続けてきた「南アルプスの将来像」フォーラムの結果をまとめ、県知事らに「山梨県の山岳環境の将来について」として提言。
    ◆9月24日、県山岳連盟が山岳や登山の研究、安全登山の普及、山岳文化の保存や研究を目的とした「山岳総合センター」(仮称)の設置を県、県教委、県議会などに陳情する。
1998 平成10 ◆6月18、19日、甲府で第1回の全国山岳トイレシンポジウム開く。
1999 平成11 ◆4月29日、北岳の白根御池小屋が雪崩で全壊しているのを管理人が発見。草すべりで発生し、池で古いデブリに遮られて直角に曲がった。
    ◆北岳大樺沢二俣と富士山8合目に夏山シーズン中、仮設トイレを国、県が設置。
    ◆11月、仙丈ケ岳の薮沢カールに新しい山小屋が完成。ソーラー、風力発電装置を導入し、合併浄化槽を動かす新方式。
2003 平成15 ◆3月21日、南アルプス芦安山岳館オープン。
    ◆4月1日、町村合併で南アルプス市が誕生。芦安村分の南アルプスは新しい市に編入される。
2005 平成17 芦安小学校体育館で第6回ライチョウ会議が開かれ、高円宮妃殿下がご臨席される。
2006 平成18 ◆南アルプスを世界自然遺産に登録する運動が始まる。
南アルプス世界自然遺産登録推進協議会が関係10市町村により設立。
構成市町村:山梨県-韮崎市 南アルプス市 北杜市 早川町
      長野県-伊那市 飯田市 富士見町 大鹿村
      静岡県-静岡市 川根本町
2008 平成20 ◆南アルプスに専任の自然保護官事務所が設置される。
    ◆南アルプス学術フォーラムが南アルプス高度農業情報センターで開催される。
2009    
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